とりあえず、前文のベータ版だけ。正式版は奥の細道が完成してこのホームページが一般公開された後となります。(←どんだけ先のことやら)

春になる度に、おとうと農業に励んで来てん。昼間はずっと農耕馬のケツたたきながら菜摘み雑草抜きに精を出し、夜は窓辺で月の明かりだけを頼りに草履や草鞋を編んどったし、読み書き習う暇さえあらへんかった。

明和9年(1772年)5月10日、おとうの後妻が弟の仙六を生んでん。当時うちは9歳。この日からというものやな9歳の信之は弟の子守のために春の長い日が暮れるまで大便だらけのおしめを替え涎を拭き、秋の短い日が暮れても、ビショ濡れになりながら弟のオネショの世話をしてん。仙六がむずかる度に、いじめてもないのにからいじめたんちゃうか、って疑われて杖で打たれてん。毎日100回、一月で8000回は打たれたんちゃうか。一年中、目の周りには痣が出来とった。地獄に垂れてきた蜘蛛の糸のようにかなおばあちゃんがたった一人の味方になってくれたからこそ、酷い仕打ちになんとか耐えられてん。めちゃめちゃや、児童虐待や。けど、これも前世で悪事ばっか働いてたんが悪いんや、昔の大聖人舜皇帝かて井戸に投げ込まれそうになったことあんねん、例えうちの体がぼろぼろになったかて、この体は元々親から借り受けたものやし、恨んだりせぇへんで、絶対。そう心に誓って、相談所に電話しようとはせんかった。冬の日の日の出前の畦道で霜降り雪積もる中凍えながら、夏の日の夕暮れの松の下で虻蚊にかまれながら一生懸命働き、弟の子守をすること5年に及んだ。

そやのに安永5年(1776年)8月14日、唯一の味方やったおばあちゃんがあの世に旅立ってもうた。有為転変、会者定離はこのはかない世に生きてる以上宿命なんは知っとったで。けど、実際におばあちゃんが死んでもうたら、やっぱり闇夜、頼りにしてた懐中電灯の電池が無くなったみたいな感じがしてん。酔っぱらったみたいに何が何か分からんくなって、虚舟の心地がするねん。明けても暮れても念仏を唱え続けることで気を紛らわしてん。

三七日忌を過ぎた頃かわいそうな信之は疫病神にとりつかれて全身が火のように熱くなってん。この様子やと一命を取り留めることは出来へんやろ、ということで看病しつつも葬式の準備をしててん。うちも昼と夜も分からないような重態でか細い息をしつつも念仏を唱えとった。「どうせ大した出来の息子ではあらへんかったし、例え死んだとしてもおとんもあきらめがつくと思うし、継母も悲しまへんとは思うねんけど、親に先立つんが悔やんでも悔やみきれん。やけどそれも神様が定めはったことやし仕方ないねん。老少不定のこの世を去る前に、生まれ変わったら不生不滅の国に生まれて(ピッパ注;不生なのにどうやって生まれるねん、とは言わないように)死ぬまで親孝行する、って約束しよう。」そう思って死を覚悟してんけど、神様の御慈悲で生き延びることが出来てん。おとんは喜んでくれてんけど、継母は恨んで一層邪険に扱われるようになってん。ついには次の年の春、15歳になったのを機に江戸に奉公に出されてん。

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