とりあえず仮です。正式版はブログを借りて日付も揃えてやります。

奥の細道

序章
月日っちゅうたら、ずぅっと旅してばっかやし、年かて旅ばっかしよる。うらやましぃわ、ホンマ。貨物船の航海してメシ食っとるやつも、タクシーの運ちゃんも毎日毎日あちこち行ってばっか。旅しかやらんと死んでまうねん。ええなぁ。
昔の人かて風流やった歌人ら、みんな結構旅の途中で死んでるやろ。そんなんばっか見とったら、うちも風に吹かれとる巻雲のように旅しとうなったわ。いや、知らん間に。やから、去年の秋やな、「笈の小文」の旅から帰ってきて隅田川の畔のうちの蜘蛛の巣を払って、で、年が暮れるうちにやな、段々春霞が漂う空の下白河の関から北の方旅してみとうなってん、まるでそぞろ神が乗り移ったかのように落ちつかへんねん。いや、一度旅しとうなったら道祖神がやたらと呼んでる様な気がして、全然落ち着かんねん。そやから股引の破れとるとこ繕ったり、笠の緒新しくしたり膝下の三里に灸をすえたりして準備すんねんけど、準備しながらも松嶋の月が気になって気になってしゃあないねん。やから、家を人に譲って杉風はんの(ピッパ注;念のため、序章ということで注をつけます。ウ段には「はん」はつかないとか固いこと言わないで下さい。ピッパは関西出身ですが厳密な意味の関西弁は使えないと思います。)別邸に引っ越させてもろうてん。そん時に

草の戸も 住替る代ぞ 雛の家
ああ、無常な世の中の例の通り、やっぱ草ぼうぼうの古い家にも住人が変わる時が訪れたやん。一日だけ飾られる雛壇みたいに住人がすぐに変わるんや。

ちゅう連歌を家の柱にかけといた。


目次
旅立
草加
室の八島
仏五左衛門
日光
那須
黒羽
雲厳寺
殺生岩・遊行柳
白川の関
須賀川
あさか山
しのぶの里
佐藤庄司が旧跡
飯塚
笠島
武隈
宮城野
壺の碑
末の松山
塩竃
松島
石の巻
平泉
尿前の関
尾花沢
立石寺
最上川
羽黒
酒田
象潟
越後路
一振
那古の浦
金沢
小松
那谷
山中
全昌寺・汐越の松
天竜寺・永平寺
等栽
敦賀
種の浜
大垣


旅立
3月も27日になると明け方の空に春霞が立ちこめんねん。かすかに光る有明月に照らされて富士山がぼんやり見えんねん。そげな中の上野谷中の桜の梢を再び見に来れるんははいつんなるやろ、と思うたらなんかしけるわ。昨日仲がええやつがぎょーさん仕事が終わったら集まって一緒に舟に乗って見送ってくれてん。この世は幻っちゅうことは知っとってんけど、千住ちゅうところで舟降りてこれからの長ーい旅路に思いを巡らしたら胸が一杯になってしもうたし、この世の中の別れのはかなさにやっぱり悲しみの涙を流したんや。

行春や鳥啼魚の目は泪
春って短いねん。鳥も魚も春との別れを惜しんで泣いてるでぇ。

これを旅日記のはじめに書きつけ出発しようと思うたのに、えらい後ろ髪引かれる気がするんや。みんな、途中まで見送りに来てくれてん。見えなくなるまでずっと手ぇ振ってくれててな、めっさ感動したわ。
草加
元禄二年、今年こそは奥羽を旅しょと、思いつきで決めて、ド田舎で苦しいこと経験することになんねんけど、ええ景色やってゆう噂聞いてんのにまだ見てへん辺境のとこ、無事に旅してこれるんならめっさ嬉しいわ、って当てにならへんこと考えて旅立って、その日ようやっと草加の旅館に着いてん。荷物が重たすぎやっちゅーねん、うちのやせた体には無理無理。ただ着のみ着のままで出かけてくりゃえかってん。そのつもりやってんで。せやのに寝袋、寝巻、レインコート、筆記用具、それから旅立つ時にもろうたプレゼント(邪魔臭いねんけど、捨てる訳にいかんし)、こんなんがお荷物になってもうた。どないすりゃええねん。
室の八島
栃木市の大神神社に参詣してんけど、連れの曾良が言うには、「ここの神様には木花開耶姫ちゅうて、富士に祭られとんのと同じやねん。岩室にこもって誓いたてて焼身自殺しようとしたら、火闌降命と火火出見尊がデキちゃったし、室の八島ってゆうねんて。(ピッパ注;不適切な表現を含むとお怒りになる方もいるかもしれませんが大目に見てやって下さい。あ、それからこの部分は神話が絡んでます。)それにやな、煙のことよう詠むやろ。あれもこれが語源やねんで、知らんかったやろ。」道理で魚のこのしろを食べられへんねんな。縁起担ぎやって。
仏五左衛門
3月30日日光山の麓に泊まってん。泊めてもろうた宿の主人が「私は佛五左衛門と申します。バカ正直に過ぎるもんで、みんなこういうあだ名をつけたんです。旅先での一夜だけですが、さあさ、ごゆっくりなさって下さい。」とでゆうてる。こんな鬼ばっかりの渡る世間に現れて、私の様な貧乏旅行者に親切にしてくるのはどんな仏様やろ、と主人の立ち居振る舞いを注意深う観察してみたら、知恵の「ち」の字も、知識の「ち」の字も、力の「ち」の字もあらへん、ホンマにバカ正直で生真面目で頑固一徹のもっさいやつやってん。正に剛毅木訥の仁やな。やっぱこういう人を見習わな。
日光
4月1日、日光山に参詣してん。昔はこの山のことを二荒山とゆうててんどってんけど、かの空海大師が日光山という名をつけはってんて。千年後のことが分かったんやろか。今この日光では、東照宮様の御威光が全天に光り輝き、将軍様の御徳による太平の世、民衆は平和で穏やかな生活が送れとる。これ以上大御所様・将軍様のことについて記述するんは、畏れ多いことやしこれくらいでやめにしとくわ。

あらたうと青葉若葉の日の光
なんや、畏れ多いがな。日光山の青葉若葉に降りそそいどる日の光は、東照宮様の御威光と御徳ちゃうか。

黒髪山は霞がかかっとって、雪がまだ白い。

剃捨てて黒髪山に衣更
曾良
頭丸めて服も僧衣に変えて旅してきてん。黒髪山で衣替えを迎えてんけど、なんや、黒髪山はまだ雪化粧かいな

曾良は河合氏で惣五郎ちゅうねん。隅田川の芭蕉庵の近うに住んで色々手伝うてくれてん。今回松島や象潟の景色を一緒に見に行くことをめっちゃ喜んだのと、うちの道中の苦労を思いやったのとで、旅立ちの明け方に髪を剃って墨染めの僧衣を着て、名前も宗悟に変えてもうてん。そやからこういう句になってん。「衣更」ちゅう二字がアクセントになっとるわ。
2キロ以上登ったら瀧があるやん。岩が洞のように窪んどるとこのてっぺんから五メートルぐらいごっつぃ勢いで岩の囲んどる青い滝壷に流れ落ちてんねん。すんごいで、ほんま。裏見の瀧っちゅうて有名らしいし、滝裏の穴に小そうなって入ってみてん。

暫時は瀧に篭るや夏の初
僧侶が夏の間滝修行するん真似して、ちぃとばかし、滝裏に篭ってみてん。マイナスイオンの効果でめっちゃリフレッシュされたわ。いよいよ長い夏旅が始まんでぇ。

那須
那須の黒羽っちゅうとこに知り合いおるしよしてもらうために、那須野をまっすぐに黒羽 へ向かってん。遠くに村あって、目指しとったら雨が降ってきたし日も暮れたし、農夫ん ちで一晩泊めてもろて、明けたらまた野原を歩いてん。ほしたら野飼いのチャリ(馬)が あるやん。絶対乗らなあかん、乗らな歩けん、乗らな死んでまう、って草を刈ってたおっ さんに泣いて頼んだら、田舎っぺぇやけどやっぱり人情はあんねんな。「どないしよ。今 仕事中やし一緒に行けへんからな。そやけどこの辺は分かれ道があほみたいにぎょーさん あるねん。やから土地勘無い自分らやったら、絶対に道に迷うやろし。そんな気がするし 貸したるわ。けど馬が止まったらちゃんと返せや。返せんかったら腎臓売ってでも返 せ。」ちゅうて貸してくれてん。小さい子供が馬の跡ついてくんねん。一人は女の子で 「かさね」ちゅう名前やねんて。珍しい名前がごっつぃかわいかったし、

かさねとは八重撫子の名成べし
曾良
自分かわいいな。かさねっちゅーんは花びら重なっとる八重撫子のことやろ。

そうこうする内に人里に着いたし、礼金を鞍壷に結びつけて馬を返したった。

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