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なぜ関西弁か
1 古語文法の残存
関西弁にはあるが、東京弁(いわゆる「標準」語のこと、どこがどう標準なのか知りませんけどね。)には無い文法が存在する。従って、関西弁に翻訳することで、翻訳文体になることをある程度防げる。

例)存続の表現
「花咲けり」
これを現代語訳してください。恐らく、「花が咲きつつある。」と訳すでしょう。違和感を感じませんか。僕は違和感を感じます。この「〜つつある」という表現は翻訳文体です。(誰も翻訳文体はいけないとは言いませんが、避けられるなら避けるに越したことは無いでしょう。)それが証拠に、「食事をしつつある」とは余り言いませんよね。ところが、これが関西弁だと、「花が咲きよる。」と訳せてピッタシカンカンなんです。この「〜しよる」という表現は、関西弁では存続を表します。それが証拠に、「食事しよんねん」と言いますよね。(この部分、非関西人の人達には、「〜しよる」が、東京弁の「〜してやがる」のようなマイナスのニュアンスを持つと解釈してしまうかもしれませんが、「〜しよる」自体にはマイナスのニュアンスはありません。)つまり、関西弁に古語文法の存続の表現が残存したのです。

2 文化の発信力
明治時代になるまで、日本文化の中心地は京都でした。江戸の町は確かに大きかったのですが、文化の発信力という点では、京都に大きく劣っていました。(江戸だけではありません。大坂も、その他の都市も全く歯が立たなかったといえるでしょう。)従って、江戸時代以前の文学を訳す場合、関西弁で訳すほうが理に適っているといえるでしょう。(特に松尾芭蕉は上方出身ですしね。)

ゲリラ翻訳
なんやかんやゆうて来たけど、結局、ゲリラ翻訳やるには東京弁では無理、ゆうことやねん。奥の細道なんて、世の中にゴマンと現代語訳出とるやん。そんなんとまともに勝負したかて勝てへんもん。そんな中で関西出身のうちがこの翻訳差異化しようと思ったら関西弁訳するんが手っ取り早いねん。ま、ある種のランチェスター販売戦略やな。

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