四日目 ママチャリボーイ、海を渡る



四日目
8月29日月曜日

六時前に起床。昨夜の天城越えがかなり厳しかったのか、少し遅い起き出し。ただ、海上保安庁の職員には見つからずに済んだようだ。これで国際平和を破壊せずにすんだってもんだ。駅前のローソンで二日分の食事を購入し、下田の南にある船乗り場へ向かう。ここから南の島へ渡るのだ。コンビニの恐らくない孤島である。仕入れが肝心だ。
山の中腹にあるお寺から鐘の音が聞こえる。六時の鐘の音だ。下田港までは十分もかからない。待合室で窓口が開くのを待つ。

切符を買う。
「下田―神津島学生片道が3030円。自転車が2805円になります。」
「え?」
読者の皆さんの代わりに思わず聞き返す。だってそうだろ。人一人と自転車が同じ値段はないって。しかもさ、ちゃんと船倉に入れてくれるんならまだしも、甲板にひもでくくりつけてるだけだったんだぜ。本当にぼったくりだよ。
乗客がほとんどいない上に近年の原油高。まあ、フェリー会社の気持ちが分からないではないけどさ。

神新汽船あぜりあ丸。総排水量480トン、乗組員八人の小船だ。一分あれば船中を見て回れる大きさだ。この船は下田と伊豆諸島北部の四島を結ぶ。ちなみに、島の間での平等を保つため曜日によって四島をどちらから回るかは変わるそうだ。
瀬戸内海沿岸で育った僕は数え切れないほどフェリーに乗っているが、外海を航行したことはほとんどない。外海を航行する嬉しさに胸いっぱいになりながら甲板で海を眺める。「君を乗せて」を口ずさみたくなるような景色だ。筋雲がデコレーションする一面の晴天。見渡す限りの青鈍色の大海原の波に夏の太陽が反射してきらきら眩しく美しい。邪魔するもののない完全な水平線。波を立てつつ進む船の舳先から飛び立つトビウオ。今年の夏は晴天が続いたおかげで大発生しているトビウオは、海面を這うように数十メートル飛ぶ。

11時半、二時間強で神津島に到着。神津島は北部伊豆諸島の最南端に位置する面積19平方km人口2200人の小さな島。島の中心には台地状の天上山があり、プリンのような形をしている。この島はその天上山の火山活動により形成された島であり、島の土は細かい。この島では天水を飲料水に用いているが、その土の細かさゆえに水不足になることもあるそうだ。主産業は漁業と観光業、主要な生活物資は東京竹芝桟橋から毎日貨客船で運ばれる。
四囲を囲む海は透明度日本一に選ばれたこともあるきれいな海であり、釣り、ダイビング、海水浴も可能。
その美しい南の島は完全な晴天。天上山上空に小さな雲が二つ浮かんでいるだけだ。プリン型の天上山は所々白い火山灰が裸に露出しているのが遠目にもはっきりと分かる。北へと視線を移すと海岸線に断崖絶壁が続く。

観光協会に立ち寄ってパンフレットをもらう。昼ごはんを食べながらパンフレットを見て、山に登ることに決めた。
12時過ぎに港を出る。すぐに始まる急な斜面を押して歩く。13時前に黒島登山口(二合目)に到着。登山口前には天水を利用したトイレがある。ここで自転車を洗う。というのも、海を渡ってきたので自転車を放置しておくと付着した潮で赤兎馬鹿号が本当に真っ赤になってしまうからだ。飲料1.5リットルとカメラのみを持ち、それ以外の荷物を全てトイレ前のスペースに放置する。荷物を全部持って山に登るのは厳しいと、三湖台に登った際に学習したのだ。その教訓を生かし今回はこのトイレをベースキャンプ化する。まさか、この閉ざされた島で盗まれることもあるまい。というか盗まれるようなもの入ってないし。

13時半、登山口脇に置いてある杖を手に持ち出発。ここからプリンのカルメラの部分までは斜め四十五度の急勾配が続く。火山灰でできたもろい登山道のため、急勾配の斜面は少し怖い位だ。栄養の少ない火山灰、太平洋上を強く吹きぬける風、そしてこの急勾配。それらに成長を妨害されているため、標高600メートルの山とは思えない高山植物類似の植生が見られる。登山道からは背後に島内唯一の集落が見下ろせる。集落が囲む港とその向こう一面に広がる海を見比べると「黒潮は黒い」という当たり前のことがつくづく実感できる。

カルメラが近づくと石塁が見える。オロシヤの石塁というそうだ。どうでもいいことだが、そのネーミングセンスはどうかと思う。
このオロシヤの石塁とは、江戸時代末、海上防衛のために作られた石塁だそうだ。この島には海上防衛のために他にも槍数筋と鉄砲一丁が配備されたそうだ。こんな石塁と鉄砲一丁で本当に黒船と戦えると思っていたのか。はなはだ疑問である。

オロシヤの石塁の間を抜けるとカルメラ到着だ。独特の風情だ。サイコロのような形の大きな岩、高山植物類似の植生。その両者が絶妙にマッチする。火山灰由来の白いさらさらした砂が登山道を覆っており、その登山道には真新しい靴跡がついている。台風が数日前襲来したことを考えるとごく最近つけられた足跡だ。ちょっぴり心強い。その登山道が小さな起伏を回りこんだところに表砂漠が広がる。表砂漠というだけあって、白い細かい砂が火山活動により生じたカルメラのカルデラを完全に覆っている。この砂だけ見れば鳥取砂丘をも思い起こさせるものがある。カルデラの砂の白色、周囲の起伏を覆う高山植物の緑色、そして雲一つない青空の水浅葱色の対比が目に鮮やかだ。

気分が乗ってくる。こういう時はやっぱり六甲颪だ。杖を振り回しながら六甲颪を熱唱する。ただ、この姿は誰にも見られたくないよな。

以前も書いたが、山に登って「ヤッホー」と小学生のように叫んだり、「ばかやろー」と二昔前の青春ドラマの主人公のように叫んだりするのは恥ずかしい。
勿論、富士山のように観光客が大勢いたり、乗鞍岳のように標高が高い場所で叫ぶのはいい。観光客が大勢いると「ヤッホー」と叫ぶのも風情がある上、そもそも叫んでも目立たない。到達が困難な場所に登ると解放感と達成感に満たされて叫びたくなるのも分かる。だが、観光客がほとんどいない、標高が低く到達が容易な場所で叫ぶとなると別問題だ。傍から見ている登山の達人に、「何でこんなちっぽけな山に登ったくらいでそこまでハイになれるかなぁ。ぷっ(笑)。」なんて笑われたらどうしようと考えてしまうのだ。
ヤッホーと叫ぶのでさえ、恥ずかしいのだ。ましてや六甲颪を熱唱するのを見られたらもう生きていけない。

そんな僕が熱唱しながら展望台まで来ると、観光客かはたまた地元民か、三人椅子に座ってしゃべっていた。恐らく、真新しい靴跡の主である。六甲颪を熱唱してきた僕は急に恥ずかしくなる。非常に気まずい雰囲気だ。当たり前だ。僕だって誰もいないと思って叫んでたんだから。とりあえず何事もなかったかのように「こんにちは。いい天気ですね。」とさわやかに挨拶する。大人の対応だ。さすが、俺。

さらに歩くと、新東京百景にも選ばれた展望地に到達する。ここからは、天上山脇に寄り添っている櫛ヶ峰と太平洋、その太平洋の向こうに式根島と新島が見える。異様な景色だ。櫛ヶ峰は上から見ると三日月形をしている。その山頂付近は火山灰で白く、黒曜石による黒い層がその山頂の周囲をバウムクーヘンのように巻き込んでいる。斜面は植生がある部分と黒曜石が露出した部分が縞状をなしている。非常に不思議な気分がする眺めだ。

いい景色だけどさ、新東京百景って何だよ。狭い東京都内から百箇所も選んだ場所のうちの一つな訳だろ。しかも、「新」てことは「旧」もあったんだろ。ひどいな。新東京百景に選ばれただけだったら景色が本当にいいのかどうか分かんないじゃないか。せめてこの狭い東京なんだから三十位には絞ってもらわないと。

16時頃、島内最高地点天上山山頂。標高572メートル。西を見下ろすと、眼下に集落が見える。夕刻が近づき傾いてきた陽が、黒い太平洋に反射しきらきらと眩しい。さらに、海の中の島故に山頂で香る潮風が新鮮だ。その潮風でかなり喉が渇く。
西の水平線、中国大陸の方角に傾いていく夕日を見ながら「再見。ツァイツェン。」と中国語で呟く。
徐々に青みを増していく東の空、アメリカ大陸の方角を見ながら"Good night"と英語でささやく。
国際人のフリをしてみただけ。深い意味ないよ。

はい、問題です。
次に挙げる都市の内、東京から見て東に存在するのはどれでしょう。
1 ニューヨーク
2 バンクーバー
3 サンフランシスコ
4 メキシコシティー
5 ブエノスアイレス
あ、ちなみに、選択肢が奇数個なのでフィフティー・フィフティーは使えません。悪しからず。
まあ、一応ヒント。各都市の大体の緯度は、ニューヨーク―北緯41度、バンクーバー―北緯49度、サンフランシスコ―北緯38度、メキシコシティー―北緯20度、ブエノスアイレス―南緯35度、東京は勿論北緯35度です。
もう一つヒント、選択肢の並び方が緯度の順番ではありません。ニューヨークとバンクーバーをこの順番に並べているのには意図があります。
読者:「んなヒントもらったら簡単だろ。3 サンフランシスコ。」
残念。正解は5 ブエノスアイレス。
読者:「は?アホやろ。サンフランシスコって南半球にあんねんぞ。どうやったら東京の東になんねん。」
確かにミラー図法やモルワイデ図法、メルカトル図法によって描かれた世界地図、要するによく見かける世界地図を見ると、あたかも東京の東にはサンフランシスコが存在するかのように見える。
説明しよう。地図とは球体を平面によってあらわすものだ。従って全ての情報を正確に記述することは不可能。情報の取捨選択を行っている。地図が現すべき情報には、距離、航路、面積、形、方角等様々なものがある。上述の世界地図はいずれも方角を切り捨てた地図だ。方角を正確に知るためには、正距方位図法等の方角に重点を置いた地図を用いねばならない。つまり、僕達が普段見かける地図では正確な方角は分からないのだ。
では、正確な方角はどのように決まるか。地球儀をお持ちであれば地球儀、なければ野球ボールでもサッカーボールでもいい。丸いものをご用意いただきたい。今から話すことはかなり複雑なのでこれらを用意していただかないと分かりにくいと思う。
用意した地球儀の一点、東京に印をつけよう。その東京の丁度反対側にも印をつけよう。この反対の点のことをアンティポデス、もしくは対蹠点という。ちなみに、対蹠点は「たいせきてん」と読む。間違っても「たししょてん」とは読まないように。
東京とアンティポデスを結ぶ地球を一周する円が無数に描けるが、その中で極を通る円を描く。この円の東京―北極―アンティポデスを結ぶ半円は東京から見て北、東京―南極―アンティポデスを結ぶ半円は東京から見て南になるのだ。そして、この円と東京において直交するような東京とアンティポデスを結ぶ円を描く。東京―ホノルル―ブエノスアイレス―アンティポデスを結ぶ半円は東、東京―ナイロビ―アンティポデスを結ぶ半円は西になるのだ。ちなみに、ニューヨークは東京から見て北北西である。
何でそんなこと知っているのかって?僕は高校時代、理系なのに校内一地理を愛し、校内一地理が出来た少年だ。これくらいのことは朝飯前さ。
自慢ね、今の。

地理マニアの熱い授業に読者の皆さんがひいてしまった。いけない、いけない。僕の悪い癖だ。熱くなると周りが見えなくなる。

面白くない地理の授業は寝るに限る。授業が終わり目が覚めると、17時前。僕はベースキャンプ、登山口脇のトイレに帰り着いている。海まで続く急峻な斜面を一気に下り降りる。

この島にはコンビニも銀行もない。郵便局がかろうじて一つあるだけだ。そんな島にいわゆるレストランは当然ない。かろうじて営業していた民宿直属のそば屋で「つけ鴨せいろ」を食べる。
食べ終えて外に出ると、丁度夕日が西の水平線にその姿を消そうとしている。島の西海岸沿いを走る道を北へ向かいながら眺める。きれいな夕焼けだ。分刻みでカメレオンのように色が変わっていく。残念ながら、僕にはこの夕焼けを形容するだけの文才がない。
水色から千草色、藤紫色へと闇迫る景色の中、西の水平線に沈み行く夕日もまた、淡黄色から蒲色、橙色へと変化する。その夕日が照らす黒い太平洋と西の空に浮かぶ飛行機雲がいろんな色に染まる。世の中にある全ての色をこの水平線のパレットに集めて混ぜ合わせたかのようだ。

海沿いの神津島温泉保養センターに入る。西へ面した露天風呂はこの夕暮れの一瞬、贅沢な黄金風呂になる。本当に贅沢な景色だ。写真に撮ろうとして思わずカメラを持ち出しかける。周りの空気が変わる。そうだ、ここは温泉だった。カメラを持ち出すと妙な勘違いを招きかねない。以後慎もう。
日焼けと急所の痛みに苦しみながらも、入浴料の元を取るために風呂に入る僕。そんな僕を周りの人がどう思ったかは、やっぱり、知らない。

29日
走行距離 17.65キロ
一日目からの積算走行距離 375.99キロ
走行時間 約2時間

次回―五日目 東京へ

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