三日目 闇夜の天城越え、体当たりの危機



三日目
8月28日日曜日

5時10分。西湖西端の駐車場の休憩所で目が覚める。五時間眠ってすっきりとした目覚めだ。
朝に弱い方にお勧めする。自転車で旅行するべし。絶対に早起きになる。起床時間だけじゃない。自転車で旅に出るとどんなに不精な人でも支出の表と日記は書くようになるらしい。そこのいい加減なあなた。自転車はいかが。

6時過ぎまでぼんやりと西湖を眺める。辺りが明るくなってきたので行動を開始する。
西湖をぐるっと回って紅葉台登山道入り口。自転車を放置し荷物だけもって登山道へ。荷物だけとはいっても荷物全部だからそこそこ重い。細い登山道を落ちていた木の棒で蜘蛛の巣を振り払いながら、紅葉台へ到達。紅葉台は富士山の噴火の際の溶岩流により形成された青木ヶ原樹海、西湖を一望の下に見渡せる台地で、名前の通り秋には紅葉が美しい場所だ。・・・濃霧で何も見えない。五十メートル先も見えないような濃霧だ。別に紅葉は期待してないけどさ、景色ぐらい見せてくれよ。

紅葉台山頂(1163メートル)、三湖台山頂(1202メートル)へ尾根を縦走。広くなった登山道が歩きやすい。7時15分三湖台に到達するがやっぱり濃霧。三湖台という名前は、西湖、精進湖、本栖湖を山頂から見渡せることに由来する名前で、実は富士山も見える絶景地のはずなのだが、名前に負ける三湖台。大きく深呼吸して雲を吸い込む。たしかに、濃霧の三湖台も素敵だ。丁度山頂部分だけ木が生えていない裸地なのだが、その中心に一本だけ広葉樹が自生している。その広葉樹と裸地を包み込む濃霧。その濃霧の間からかすかに見下ろせる樹海。この世のものとは思えない。

でも、やっぱり三湖台っていうんだからせめて西湖ぐらい眺めたい。さすがにこれで帰ってはなんのことか分からないのでしばらく待つが晴れる兆しが一向にない。

誰もいない三湖台山頂で自由に行動する。「ヤッホー」と山頂で叫ぶのは恥ずかしくて周りに人がいるとなかなかできないからな。「ヤッホー」と一通り叫び終わると六甲颪を歌う。六甲颪で満足した僕は、曇ってて見えない西湖なんかどうでもよくなって7時45分、下山。
六甲颪を歌いながらハイに下山途中、いきなり猪に出くわす。ティリリリー♪ディッ、ディッ、ディ♪ダダダダッダー、ダダダダッダー♪RPGなら戦闘シーンの音楽が流れる場面だ。六甲颪は似合わない。

ピッパLv. 1六甲颪で高揚中Lv. 1000
体力10体力100000
厚かましさ1000vs凶暴度10000
六甲颪MP ∞/∞突進MP 30/30
体当たり出たとこ勝負MP 40/40体当たりMP 50/50


ピッパ、足がすくむ。猪はぎらっと僕を睨むと林の中へ戻っていった。
ほんの一瞬の出来事だった。冷や汗が吹き出す。油断大敵。歌を歌っていたから猪も林に戻ってくれたのだろう。今度から山道歩くときは気をつけないと。

8時10分、紅葉台まで戻った頃急に晴れだした。今さら猪に遭遇した三湖台には戻れない。とことん性格の悪い山梨県の雲に悪態をつきながら山を下る。

西湖の民宿エリアは少年野球部の合宿の聖地のようだ。自転車を放置していた広場で小学生の野球チームがいくつか練習を行っている。夏休み最後の日曜日。彼らは白球を追いながら何を考えているのだろう。小さい子供を見るとそんなことが最近気にかかる。

青木ヶ原樹海を抜ける道を走る。方位磁針を取り出す。諸君、ここで地学の講義といこう。この青木ヶ原樹海は溶岩流が形成した火山岩の上に形成されている。この火山岩が磁力を持っているため、方位磁針が役に立たないのだ。樹海が遭難しやすいとして恐れられる理由の一つはこれである。ほら、ご覧、僕の方位磁針・・・ちゃんと北さしてるな・・・。おかしい。何のために方位磁針持ってきたかって言えばこの青木ヶ原樹海で役に立たなくなる方位磁針を見たかったからなのに。

樹海を抜ける国道139号線を快走。ここから駿河湾岸の富士市までこの国道139号線は高低差1000メートルの実に長い下り。非常に快調に走る。9時15分頃本栖湖着。万屋で朝御飯と日焼け止めを購入。折角だから本栖湖も一周することに。時計回りに本栖湖を周る。
国道139号線の近くにキャンプ地があり、初めの五分ほどは観光客で非常に混雑していた。しかし、さらに走ると人気のない湖岸の道。たまにキャンプ装備を積み込んだ4WD、バイク、ロードレーサーとすれ違うだけとなる。
湖の西の端に砂浜が広がる。暑い日ざし、地平線の入道雲。変わらない夏の景色。ただ、その景色の中に自転車があるのは今回が初めてだ。自分の足で自分の力でその景色を見に来たのは今回が初めてだ。
一時間二十分ほどで一周。後半の国道300号線は路面が荒れていて非常に走りにくかった。

国道139号線を三度南を指して走る。気がついたらリアの空気が抜けている。空気入れ持って来てないからな・・・。しかし、民家もないこんなド田舎に自転車屋なんてある訳がない。運良く下りだ。富士市までごまかしごまかし走ろうとしてしばらく頑張る。やっぱり無理だ。魔女の宅急便で言えば、箒が折れて飛べなくなった感じだ。無理してモップで空を飛ばなきゃいけない感じだ。困る。非常に困る。仕方がないので見かけたエネオスで聞いてみたら空気を入れてもらえた。しかもタダで。ありがとう、エネオス。感謝の印にここでCMやってやるよ。

汚れるよ
汚れるよ
汚れるよ
あなたのエンジン知らないうちに汚れるよ
汚れすぎ
エンジンをクリーンアップするハイオク
エネオス new ヴィーゴ誕生

俺って太っ腹。タダでCMしてやったぜ。これでエネオスに就職内定だな。

エネオスを過ぎた辺りから急な下り。その下りを下りきると静岡県、朝霧高原だ。今回の旅、二つ目の県境。左右になだらかな丘陵と草原が広がる。牛が草を食んでいる。走るだけで気持ちが良くなる道だ。

11時15分、R139に別れを告げ県道414号線で田貫湖を目指す。
さらに走ること30分。田貫湖に到着。富士五湖とは客層がやや異なる。富士五湖で目立ったのは夏休み最後の土日をキャンプに来た4WD。それに対しここ田貫湖では富士市からの日帰りフィッシング、サイクリングに来た客が目立つ。田貫湖は完全なアミューズメントパークだ。

12時前に田貫湖を去り南下。S414は林の中、定期的に急降下を繰り返しながら少しづつその標高を下げていく。左右に広がる林の間に時折田んぼと住宅地が顔をのぞかせる。そんな林中の道が終わりを告げ住宅街につきあたる交差点でS414は左に折れる。

12時15分。走行距離49.58キロで白糸の滝・音止の滝に到着。
白糸の滝はさすが日本の滝百選に選ばれた名漠。滝のカーテン、という形容がしっくりくる。高さ二十メートル、幅二十メートルの湾曲した絶壁。その絶壁にかかる数十の白糸が苔の生える一つの滝壺に注ぎ込む。この白糸はほとんどが湧水らしい。
白糸の滝から絶壁に設けられた階段を上ると音止の滝。高さ二十五メートル、幅五メートルの崖を落ちるこちらの滝の流れは一つ。曽我兄弟が工藤祐経の仇討ちを密談した際に滝の音がうるさくて密談できなかったので、滝の音が消えるようにお願いすると音が止まったというのが「音止」という名前の由来だそうだ。曽我兄弟、工藤祐経って誰だよ。それにさ、・・・うるさいなら何も好き好んで滝の近くで密談しなくても良かろうに。曽我兄弟って頭悪いな。

食事店で昼御飯を食べた後、13時25分滝を出る。
14時富士宮駅。14時15分、サイゼリアで再度昼御飯。

例によってドリンクバーを頼む。タダなのをいいことに、三度飲みすぎる。やっぱり苦しい。苦しくなるのが分かってるんだから何も好き好んで飲みすぎなくても良かろうに。俺って頭悪いな。
今度こそ学習しろよ。ドリンクバーのご利用は計画的に。

16時、サイゼリア発。国道1号線まで国道139号線。昨日の奥多摩湖から、今日の国道1号線まで富士山の西を周ってつなぐ国道139号線をついに走破した。また一つ、達成感を感じる。
国道1号線は皆さんご存知、太平洋ベルトコンベアーの東京と大阪を結ぶ日本の大動脈。富士山麓の田園地帯を走るこの道を、西へ向かう自家用車も東へ向かうトラックも一直線に走り、その交通量には目を見張るものがある。
その国道の路肩を走る僕。非常に快適だ。「日本の大動脈」――この言葉の意味は実際に走ってみないと分からないと思う。信号の数、信号の連結、路側帯の広さ、路面の舗装、道路の平坦さ。全てにおいて、東京からここまでくるのに走ってきたあらゆる道を上回る。平らできちんと舗装されている国道1号線を、左に富士山を眺めながら快調に走・・・れたら良かったのに、やっぱり曇ってるのね、富士山。出し惜しみするなんて富士山はケチな野郎だ。左手に富士山を見ることは叶わないが快調に走る。

三島に着くと南へ進路を変える。走るのは国道136号線。
18時過ぎ、ガスト。ドリンクバーを頼む。飲みすぎてお腹が痛くなるのはこの三日間で四度目。タダという言葉にとことん弱い俺はケチな野郎だ。

辺りは真っ暗。西湖から下田へは二日かけていくつもりだった。でも、僕はまだ元気だ。折角だし一日でどこまで行けるか試してみたい。それに下田は港町。神戸、長崎、横浜を例に出すまでもなく、港町といえば夜景だ。その夜景を見てみたい。そう考えて下田まで今晩のうちに天城越えすることとした。

伊豆半島狩野川沿いの温泉地帯を通り、三島と下田をつなぐ片側一車線の道。暗い夜空の下、背後に遠ざかっていく三島の灯が右手の狩野川に映える。その田舎道をコンビニに寄りながら走る。
21時過ぎに道が国道414号線に変わる頃、雨がぽつぽつと降ってくる。20分ほど走り、月ヶ瀬ローソンを見つけると物資補充を兼ねて雨宿り。雨がやむまで半時間。

国道414号線は月ヶ瀬を過ぎた頃から急な上り坂になると同時に、街灯がなくなる。しかも実際に走ってみると分かるのだが、この後天城峠の南に到達するまで人家はほとんど見当たらない。
今、さらっと書いた。見落とした方もいらっしゃるかもしれないのでもう一度書こう。「街灯がなくなる」――分かるだろうか、この言葉の持つ意味が。僕が走っているのは、つい先ほどまで雨が降っていたため月はおろか星も見えないド田舎の夜道。しかも、僕の自転車は安物。前輪の駆動力を利用して発電するダイナモランプしかついていないので、スピードが落ちると点灯してくれない。急な上りでスピードが落ちているということは・・・、そう、真っ暗。
その暗い道を車が猛スピードで走っていく。その度に、轢き殺されるんじゃないかと死の恐怖を感じて自転車を止め路肩の排水溝に逃げ込む。
でも、その自動車でさえ、心強い味方に感じられるほど暗くて人気のない夜道。
正直、非常に怖い。朝三湖台で猪に遭遇した時は洒落ですませたが、ここで熊なんかに遭遇したら洒落ではすまない。というか、熊がいても人間の視力では絶対に見分けられない。獣よけのため、そして心細さに耐えるため、六甲颪を歌う。こんな情けない姿は行きかう車の運転手には見られたくない姿だ。でも、見てもらわないと轢き殺されてしまうからな。そこが難しいところ。

六甲颪は名曲だよ。愛媛出身の巨人ファンが友人にいるんだけど、彼もカラオケの締めで必ず歌う。「六甲颪はシマル。」そう彼は言う。その通りだ。リズムのいい七五調のマーチ。一箇所、阪神ファンでさえ半音間違った音程で歌ってしまう箇所はあるものの、基本的に歌いやすい旋律。
いくらケツメイシが好きだからといって、上り坂で荒れた息ではあの難しい「さくら」は歌えない。いかにユーミンが好きであっても、しんみりする「春よ、来い」は暗い夜道では歌えない。息が荒れていなくてさえ"The"のthと、"Thing"のthと、"She"のshと、"Said"のsを発音し分けることは日本人には不可能なのに、どんなにt.A.T.u.が好きだとしても超早口の"All the things she said."は歌えない。しかも、「さくら」と「春よ、来い」は季節外れだし、t.A.T.u.は時代遅れだ。だが、その点六甲颪は名曲だ。この夜道で歌っても心細くはならないし、上り坂で荒れた息でも歌える旋律だ。
本当は夏の盛りに六甲颪を歌うのは季節外れなんだけどね。六甲颪は冬の時期大阪湾に六甲山から吹き降りる季節風で、この風で冬の航海が困難だから大阪湾のことを灘ともいうんだ。源義経が屋島の戦いのために暴風雨にも関わらず四国に無理矢理渡ったけど、この暴風雨も六甲颪なんだよ。こういう季節外れの歌、応援歌にしてるからいつまでたっても阪神はダメ虎なんだな。

おっと、関西出身ということで熱く六甲颪と阪神タイガースについて語ってしまった。大目に見ていただきたい。しかし、いくら六甲颪のことを考えて気を紛らわせようとした所で、この心細さは紛らわせられない。天城峠の手前に道の駅があるはずだ。そこで今晩は明かそう。そこまでの辛抱だ。

22時45分道の駅天城越え到着。その道の駅に出入りする車のための信号機の灯りが、月ヶ瀬以来唯一の光だ。その信号機の灯りがとてつもなく嬉しい。道の駅に到着するまではここで夜を明かそうと思ったが、着いてみると先を目指したくなる冒険家の僕。

スコットという冒険家をご存知だろうか。二十世紀初頭人類初の南極制覇を目指し、アムンゼンとの激しい一番乗り争いを演じたイギリスの冒険家だ。当初雪上動力車と馬でそりを引いていたスコット隊だが、寒さのために使い物にならなくなり隊員自らそりを引くこととなる。エスキモーに倣い犬を用いたアムンゼン隊に遅れること一月、かろうじて南極点に到達した。しかし、そこに立つアムンゼン隊の旗を見てがっかりした彼らは失意の帰路、燃料と食料を保管しているベースキャンプまで十八キロの地点で全滅してしまう。
今の僕の気分はそのスコットだ。ここ天城越えをベースキャンプにしよう。そして先に進もう。下田の夜景を見たいし。もし、上り坂に疲れきって前に進めなくなったらその時はその時だ。道の駅まで帰ってこよう。

僕は最後まで頑張るつもりだが、体が弱りつつある。だから最後の時も、そう遠くはないだろう。残念だがこれ以上書き続けることができない。
最後に僕の家族のことを頼みます。

スコットの真似をして書いてみただけ。今の文章に深い意味はないよ。

23時頃道の駅を出る。道の駅前の信号機の明かりが背後に遠ざかっていき、再び闇の底。上り坂自体は松姫峠ほどではないが、完全な闇の中の上り坂は別の意味でしんどい。でも、いざとなれば道の駅に引き返せると思うと少しだけ元気が出る。
道の駅から走り始めて十五分、遠くの方に小さな灯りが見える。こんな山の中に人家があるとは思えない。おそらく、天城トンネル内から洩れてくる光だろう。あと少しだ。
23時25分。道が二股に分かれる。直進すると天城トンネル、左へ曲がると旧天城峠と旧天城トンネルだ。要するに、川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台になったのは左の道だ。左へ曲がる、・・・つもりだった。

土砂崩落により通行止め。嘘だろ。台風11号め。
太宰治の「富嶽百景」の舞台になった御坂峠も土砂崩落で通行止めだったし、あんたのおかげで行きたかったところどこにも行けないじゃないか。
・・・でもね、内心、ほっとしたのも事実。疲れきった今の僕に完全な闇の中旧道を走ろうとする根性はない。でも、ここで旧天城峠を制覇しなかったらなんのためにここに来たのか分からないし途中で断念するなんてヘタレって言われるかもしれないなぁ、と思って悩んでいたのだ。でも、これで正当な理由ができた。
「・・・本当はさぁ、旧天城峠に行くつもりだったしその体力もあったんだけどね、土砂崩落だもん。本当に残念だったなぁ。」
東京に帰って友人に旅の話をする時には、こう自慢するつもりだ。

走ること十分、ついに天城トンネルに到着。気分は南極点のアムンゼンだ。
標高638メートルの天城トンネルを走る。地下水が所々から湧き出している・・・。旧峠を通れないのって「土砂崩落」が原因だよな・・・。地下水が湧いているトンネルって・・・。まさか崩落しないよな・・・。
怖いので全力で走る。運良く天城トンネルは少しだけだが南向きの下りだ。

峠を過ぎたら急峻な下りだ。スピードが出る。例によって真っ暗。道が曲がっているのか、真っ直ぐなのかさえ分からない。下手すると本当にガードレールに激突して落ちてしまいそうだ。でもやっぱり気持ちいい。上り坂はつらいけど、下りの気持ちよさを考えれば我慢のしがいがあるってもんだ。この道にはピサの斜塔のようにぐるぐる巻いている部分があるのだが、そこを回るときが一番の快感だったね。
気分が乗る。思わず歌が口をつく。下りなら六甲颪以外でも歌えるな。
ハイに下る。前方に大きな青い道路標識がある。二股に分かれる道路の案内をしているようだ。だが、街灯もない。僕の自転車は前輪に固定してあるダイナモランプだ。道路標識を照らすことは不可能。何も読めない。止まって目を凝らすとダイナモランプが消えて真っ暗。車が通りかかるのを待てば読めるかもしれないのだが、折角気持ちよく下っているのに一々待つ気にはならない。突っ走る。

しばらくしてふと気付く。いつの間にか県道41号線になっている。でも下ってきた坂を今さら引き返して上る気はないよ。まあいいや。海まで下って海岸線を走ればいいや。そのまま走り日付が変わる頃、住宅地が始まる。ファミリーマートを発見し夜食をとる。
ファミリーマートから海岸線まではすぐだった。これで海抜0メートル。下田までアップダウンのない平坦な道だ。・・・甘いんだな。日本は島国だ。沿岸部は入り組んだリアス式海岸が延々と続くことは皆さんご存知であろう。確かに概してリアス式海岸は風光明媚なものであり、日本が誇るべき財産だと思う。たださ、このリアス式海岸沿いの道路って言うのは激しくアップダウンするんだな。
傍らを深夜バスが走っていく海岸線の国道135号線を、下田へ向かって苦しみながら走る。途中海越しに見える岬の灯台の灯りを励みに頑張る。

25時30分、下田到着。この時見た市街地の光は一生忘れないと思う。文明の光、生活の灯、人間の火、これがこんなにも心強いものだったなんて。
人類の中で初めて火を使えるようになった人はどんなにか喜んだことだろう。彼らが火を神とあがめることは自然なことだと思う。現代でも、アフリカ大陸の奥地で自給自足の生活を営む民族の中には火を祭る民族も多いようだが、それもうなずける話だ。

下田――江戸末期、いち早く外国に開港された人口三万人の港町だ。伊豆半島南東部に位置し、下田湾に面している。温泉街としても有名だ。今は小さな観光地。海上保安庁の施設もある。

海上保安庁の施設か。下手に野宿をして中国のスパイとか密入国者と勘違いされたら困るな。国際問題に発展してしまう。ただでさえ、日中関係は微妙なのだ。ここで僕が刺激してはまずい。国際平和と日中友好のため、ホテルを探す。
んな訳ない。ホテルを探しているのはそんな高尚な理由によるものではない。正直な話、西湖から下田まで走ってきてしんどいのだ。今日位ホテルに泊まっても良かろう。
でも、時刻は深夜2時。まっとうなホテルのチェックインを受け付けている時間ではない。もうラブホテルでもかまわないから泊まりたいのだが、下田市街に来たのは初めてなのでどちらに行けばラブホテルがあるか分からない。というか、疲れきっていてラブホテルを探すために動くのさえ億劫だ。 仕方なく、伊豆急下田駅前の広い軒下を借りさせていただくこととした。ただし、下田は観光地だし、ここには海上保安庁の施設がある。まかり間違っても寝過ごして観光客や海上保安庁の職員に遭遇しないようにしないと。

26時30分過ぎ、駅前のロータリーに徐々に車が集まりだした。暴走族の集会か、と一瞬焦ったが、どうもプチSTBistのようだ。駅前に車を停め寝袋を広げだす。
みんな、とても心強い仲間達だ。

28日
走行距離 167.62キロ
一日目からの積算走行距離 358.34キロ
走行時間 約11時間

次回―四日目 ママチャリボーイ、海を渡る

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