一日目 東京亜大陸横断記



一日目
8月26日金曜日

8月25日、台風11号が関東を直撃した。時速15キロと非常に遅いスピードのこの台風は26日未明まで関東の空に居座り、各地に惨禍を残すこととなる。
実は、その25日に家を出るつもりだった。が、いくら向こう見ず、行き当たりばったりの冒険者でも台風が来てる中、自転車をこぎだす根性はない。「風速数十メートル、一時間の降水量百ミリの中自転車に乗って旅する」というのは、冒険を通り越して怪しい。かなり、怪しい。とてつもなく、怪しい。ある意味、「水も滴るオトコのロマン」かもしれないが、もしそんなのがオトコのロマンなのなら、今すぐ性転換手術を受けさせていただきたい。

翌26日。10時起床。
昨夜は車軸を下すように降りしきっていた猛雨は偏西風と共に東の海上に去り、台風一過の雲一つない青空――という訳にはいかなかったが、とりあえず雨はやんでいる。曇ってはいるもののこれから雨が降りだすことはまずあるまい。徐々に晴れてくるはずだ。自転車日和である。

朝御飯を作って食べる。一人暮らしを始めて早数年。この間に学んだことが二つある。大航海時代に香辛料を求めて船出したヨーロッパ人の気持ち、火を初めて利用した北京原人の偉大さ。どんなに料理が下手な僕でも加熱して香辛料をまぶせば口の中には入るってもんだ。

大航海時代と北京原人について学んだ後は、愛車赤兎馬鹿号に空気を入れ最後の点検を行う。
持ち物の準備だ。
1    着替え(パンツ一枚、靴下二枚、シャツ二枚、半パン一枚、綿パン一枚)
2    タオル一枚、バスタオル一枚、歯ブラシ
3    合羽一着
4    時計、財布、携帯電話
5    飲み物1リットル
6    筆記用具、旅のメモ帳
7    高校の地理の授業以来愛用している地図
8    高速道路のSAで配っている地図
9    方位磁石
10   文庫本(夜明け前)一冊
11   エッセイ(チャリンコ族はいそがない)一冊
12   ペーパーバック("By The Shores of Silver Lake"。要するに大草原の小さな家シリーズ。)
当然のごとく、荷物量を極限まで減らす。自転車で旅行する場合空気入れやパンク修理道具を持っていくのが普通だが、今回は持って行かない。これだけの荷物、限りなく着の身着のままに近いこの状態でどこまで行けるのか試してみたいからだ。

11時20分家を出て、銀行に家賃を振り込みに行く。
20分ほどで用事を終え、出発。東京ドーム、路面電車を見やりながら、春日通り(国道254号線、以下R254)、新目白通り(都道8号線、以下S8)、明治通り(S305)を経由してまずは甲州街道を目指す。

正午過ぎ、新宿が近づくにつれ人も車も多くなる。交通量が増すにつれて信号機での停車も増える。止まっては漕ぎ出し、漕ぎ出したと思ったら止まる。あたかも、阪神電車本線や東急田園都市線の各停の様だ。まだ一日目だから体力的には問題ないが、そんな道路が少しめんどくさい。しかも、サラリーマン、有閑マダム、学生で賑わう新宿五丁目の交差点あたりまで来ると、ママチャリに乗った冒険者はさすがに周囲の景色からちょっとだけ浮いている。完全なヨソモノだ。昨日まで自分が生活していた世界が、今はまるでショーウィンドウに展示されている高額商品のように縁のないものに思える。
「へへーん、諸君、我輩はこれからこのママチャリで山梨へ向かうのだ。どうだ、すごいだろ。うらやましいだろ。」
そんなことを考えて、ちょっぴり嬉しくなりながら国道二十号線(甲州街道)近くまで到達する。しかし、なぜか甲州街道が見つからない。オジサンを捕まえて道を聞く。
「すみません。ちょっといいですか。道をお尋ねしたいんですけど。国道二十号線ってこの辺じゃないんですかね。」
「国道二十号線?ああ、甲州街道のことか。足の下を走ってるよ。」
新宿の東で甲州街道は新宿御苑トンネルなるものにもぐっているらしい。
「どう行けばいいんですかね。」
「どっちに行くの?」
うっかり本当のことを答えてしまう。
「山梨です。」
「え?自転車で?」
そう言いながらオジサンは僕のママチャリ赤兎馬鹿号をじろじろ見回す。こんな自転車で本当に山梨へ向かうのかと怪しんでいる表情、正しい反応だ。ここで一般ピープル、略してパンピーに尊大なる我が計画を布教してもよいのだが、まかり間違えて精神科医と警察を呼ばれてもかなわない。なにせ、友人でさえ「ママチャリで旅してくる。」と僕が告げると、「・・・・・・・。お・ま・え・あ・つ・い・な。」と呆れ返ったぐらいだ。見知らぬ人に下手に高尚なる我が野望は話さないほうがよかろう。脳ある鷹は爪を隠すだ。
「あ、いや、西という意味です。」
と大慌てで言い直す。ついでに、能ある鷹は爪を隠す、とこっそり言い直す。

オジサンに道を教えてもらい、国道二十号線(甲州街道)に合流。12時20分、丁度晴れ間が見え出す頃新宿陸橋を越える。山手線は越えた訳だが、まだ大都会東京の街並み。国道など主要道路との交差が相次ぐ。渋滞回避のためか、直進する自動車は橋の下をくぐれるようなクロス交差点構造になっている。なのに、歩行者自転車はまともに国道を横切らなければならない。炎天下、この信号待ちが結構きつい。
アホか、少しは歩行者と自転車のこと考えて道路作れよな、と悪態をつきながらも、12時35分に環七通り、12時50分に環八通りを突破。ここまで来るとさすが国道20号、信号の連結も非常によく快適なサイクリング。街並みは気づかぬ間に郊外の落ち着いたベッドタウンと化す。道路標識にも「甲府」の文字が見られるようになり、旅に出たという実感がわく。

13時35分、走り出して31.09キロ、東府中駅着。昼の太陽を避けることと、昼御飯を食べることを兼ねて休憩を取ろうとする。

開かずの踏み切りが最近問題になっている。全国区の総選挙でこんなローカル問題の解消を公約に掲げる勘違い系の政党まで出る始末だ。
落ち着いて考えてみろ。踏切があると思うから腹が立つんだ。「踏み切りなんてどこにもない、一時間に一回運良く路線の向こう側にいけるんだ。」そう考えてみろよ。なんと心穏やかになることか。織姫と彦星なんて一年に一回だぞ。それ考えたら恵まれてるじゃないか。もうちょっとゆとりを持って生きな。

なんでそんな屁理屈こねまわすのかって?だって、東府中駅の開かずの踏み切りに腹が立つの我慢しようと必死なんだって、僕も。
結局レストランは見つからず、日陰で半時間休んだだけで再出発した。

14時25分、ガストで昼飯。ここまでの走行距離は35.71キロ。一時間十五分程休憩。

ドリンクバーを頼む。調子に乗って飲みすぎた。今度からはいくらタダだからといって飲み過ぎないようにしよう。ドリンクバーのご利用は計画的に。タポタポのお腹で15時40分出発。十分ほどで立日橋近くの交差点。ここで甲州街道は左に折れ多摩川を渡り、右岸をさかのぼることになる。気づかない間にも多摩川に近づいていたんだ。なんだか感激。
普通、こういう河にはサイクリングロードがあるはずなんだけどな。というより、僕が自転車に目覚めるきっかけとなったサイクリスト熊沢正子さんの「チャリンコ族はやめられない」によれば多摩川サイクリングロードはあるらしいんだけどな。国道よりもサイクリングロードを折角だから走りたい。そう思って甲州街道に別れを告げ、都道29号線を走りながら河川敷への降り口を探す。

河川敷のサイクリングロードを走り出したのは丁度午後四時。昼はかんかんに照りつけていた太陽もつかれたのか、雲の陰にその姿を隠す。その雲のかすかな隙間から神秘的なオーロラのように淡い光が降り注ぎ、少し暗い雲がマゼンダ色に染まる。気温が下がって、快適。しかも、このサイクリングロード、当然自動車は走っていないためアスベストまみれの排気ガスを吸わないでいい。非常に心地よい。
ウォーキングする近所のオバサン、ママチャリに乗って老後を楽しんでいるのだろうか近所の団塊世代のオジサン、一列縦隊でロードレーサーにまたがり颯爽と駆け抜ける自転車部の大学生と思しき数名、近所の少年サッカークラブの小学生たちと彼らを見守るお母さんたち。雲間のオーロラがそんな全てを包み込む。百メートル脇を都道が並走しているとは思えない落ち着いた場所。
そんな河川敷とは対照的に、台風通過直後ということもあり濁流と化す中流多摩川。以前横浜に住んでいたので下流域のゆっくりとした流れの多摩川を見慣れている僕には、目新しい。そんな多摩川脇をサイクリングロードは小さな蛇行と何回かのアップダウンを繰り返しながら徐々に、山へと近づく。「海から47キロ」・・・「海から48キロ」・・・道端の標識が示す海からの距離が一キロ一キロ確実に増えていく。
17時過ぎ、「台風のためここより先のサイクリングロード立ち入り禁止」の看板。再び都道29号線に合流。立川付近では片道二車線の立派な道路だったが、僕が多摩川を遡っている間に都道29号線も片道一車線の道路に変わっている。上り坂が多くなる。ここまでは順調に快走してきた僕だが、そろそろしんどくなってきた。

都道5号線を経由して、17時40分青梅街道(国道411号線)に合流。この青梅街道は奥多摩、丹波渓谷、柳沢峠を経由して東京の日野市と山梨県塩山市を結び、紅葉の季節になると東京からの日帰り観光客の自動車で大渋滞する国道だが、紅葉の季節はまだ遠く渋滞になるほどの交通量は見られない。この多摩川沿いの国道を途中デイリーヤマザキとセブンイレブンで晩御飯と飲み物を仕入れつつ、少しづつ上っていく。18時少し前、太陽がその姿を関東山地に隠し肌寒くなりだす。東京二十三区内にある僕の下宿は八月も終わりになったにもかかわらず連夜の熱帯夜。パンツ一枚で眠っていても汗をかくほどの暑さだが、ここ多摩川にいたっては同じ東京とは思えないほどひんやりしている。道路脇の林の枝に昼間の太陽を遮られたのか、台風の雨で未だ濡れた路面がその気温低下に一役買っていることは間違いない。
日が沈んでからしばらくはまだ明るかったが、18時半急にあたりが暗くなる。「多摩川周遊道路夜間通行禁止」という電光掲示板を発見した。「多摩川周遊道路」を走っている訳でもないし、まさか「自転車通行禁止」という訳ではなかろうが辺りが暗いのでそろそろ今夜のビバークスポットを探さなければならない。

電光掲示板にはさらに、「R411塩山側土砂崩落通行止め」との表示。え?本当?今回の旅では実は、丹沢渓谷、柳沢峠を経由して塩山入りし、さらにそこから御坂峠を越えて富士五湖を見るつもりだった。でもしゃぁねーな。今さら引き返せないし。・・・途方にくれる。
・・・ごめん。少し嘘をついた。「R411通行止め」ってのは昨晩のニュースで知ってた。それだけじゃない、どうせ御坂峠が通行止めなことも知ってる。でもね、もしかしたら一日で通れるようになるかも、と「体当たり出たとこ勝負の楽観主義者」は考えたんだ。でも、甘い。かなり楽観的に過ぎたようだ。しゃぁあらへんわ。行けるところまで行って、どうしてもだめだったらR139を通って富士五湖を目指そう。行き当たりばったりの鉄砲玉はそう考える。

19時10分。本日の総走行距離78.70キロでJR白丸駅到着。単線青梅線の無人駅。近くには民家が何軒かあるが、夜間は静かそうである。駅の待合室は締め切り不可でぼろいが、なぜかトイレは木目も新しいログハウスで木の香りがする。めちゃくちゃ立派なトイレ。駅舎締め切り不可なのは少し不安だが、夏なのでそこまで問題はあるまい。今日はここで駅寝をすることにした。


8月26日
走行距離 78.70キロ
一日目からの積算走行距離 78.70キロ
走行時間 約五時間四十分

次回―二日目 峠越えは苦難の道

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