野生に帰る一日



3月15日

6時10分起床。寒くて何度か目が覚めたものの、すっきりとした目覚め。

船越温泉とはそこそこ繁盛している温泉観光街だと思っていたが、辺りを見渡して愕然とする。ここには山腹に新しい温泉施設が一つあるだけで人家は一つもない。「公共事業で無理やり作った」と形容したくなる様な温泉施設だ。テントを張っていた駐車場は100台は停められそうな広さだが、勿論停まっている自動車は一台もない。政治家に見られたら政争の具にされそうな温泉施設である。

お腹がすいた。パンがない。「パンがなければケーキを食べればいいのに。(マリーアントワネット風)」もちろんケーキはない。かばんをまさぐり、「ラ王」を発見。フェリーの中で買った「ラ王」を取り出してふと気付く。お湯があらへんがな。駐車場脇に建っていたトイレに入ってみるが、勿論お湯の蛇口はない。しかも、ご丁寧に「この水は飲めません」と書いてある。水でラ王は作れないしなぁ。「ラ王」以外には、昨日衝動買いしてしまったキャベツしかない。

いくら誰もいないとはいえ、キャベツをまるかじりするのは抵抗がある。一応僕は最先端の科学を研究している理系の大学生なのだ。ネアンデルタール人みたいなことは余りしたくない。

キャベツをまるかじりするか、ラ王を「飲めない水」でもどして食べるか、何も食べないで飢えを我慢するか。非常に悩む。だが、自転車で旅行している以上、ガソリンである栄養をしっかりと取らないとハンガーノックになってしまう。ハンガーノックというのは、昔風に言うと「ひだる神に憑かれた」状態のことで、峠越えの道などで突如としてお腹がすいて力が入らなくなることである。一度なってみると分かるが、びっくりするほど力が入らない。

サイヤ人としての誇りにとらわれ、倒せたはずのセルを完全体にしてしまい殺されかけた、あのベジータのような目には遭いたくない。腹をくくってキャベツをまるかじりする。意外とうまい。とても甘くておいしいキャベツだ。皆さんも覚えておいてほしい。お腹がすいて目の前に千切りしていないキャベツしかない時、「文明人としての誇り」をとるか、「キャベツ」をとるかは実に重大な選択なのだ。食べられる、食べられないではない。食べる、食べないなのだ。・・・「飲める、飲めないではない。飲む、飲まないなのだ。」と言い放ってトイレの水を飲む勇気は、さすがの僕にもないけどね。

8時前、工事のオッチャンがやって来た。船越温泉に離島の人が来れる様に港を作っているそうだ。蒲生田岬と船越温泉を結ぶトンネルも作っていて、トンネル部分は明日掘り終わるらしい。何度も言うが政治家に見られたら、間違いなく政争の具にされそうな蒲生田岬である。

蒲生田岬へ向けて出発。海沿いの崖を激しくアップダウンする道路。ブラインドカーブが多い。この蒲生田岬はウミガメの産卵地として有名なのだが、亀の甲羅を思わせるようなひびが路面に出来ている。そんなひび割れたデコボコの舗装部分、石ころの転がったセミダート部分、全く舗装されていないダート部分が連続する。激しいアップダウン、ブラインドカーブであることもあり、かなりゆっくりと進む。確かに、トンネル工事させたくなる政治家の気持ちも少しは分かる道路である。

20分弱で岬の先端部の平地に出る。人家が数軒。岬直前の数百メートルは趣のある狭い道が続く。「カントリーロード」を自然と口ずさんでしまう。

Wordsworthというイギリスの一大桂冠詩人が世界で最も美しい英単語はpavementである、と言ったそうだ。このpavementを「舗装道路」と訳して国道二号線を思い浮かべてしまうとなんでそんな単語が美しいのか理解できないと思うが、「石畳」と訳してこの蒲生田岬を思い浮かべると納得である。

鳥類研究家のオッチャンと出会う。和歌山の日田出岬、鳴門とここを行き来して観察を続けているオッチャン曰く、この岬では多いときで二千匹のタカが観察できるらしい。春、タカが北海道から南下してくるというのが学界の定説であるそうだが、朝鮮→九州→四国というタカの南下経路もありこの紀伊水道は両者の境界であるということが彼独自の研究により判明したそうである。タカ研究のオジサンはアツイ。以下滔々とタカ学の講義が続く。もちろん、さっぱりである。そもそも僕には、春になると「南下」してくる渡り鳥がいること自体が信じられない。

オジサンいわく、今シーズンは蒲生田岬にまだタカは来ていないのだそうだ。岬周辺の植物も葉のついていない木が目立つ。蒲生田岬灯台から西の方徳島を望むと、新緑の木とまだ芽吹いていない木とがコントラストをなしている。まだ、この徳島に春は来ていないのだ。

オッチャンに別れを告げ9時30分頃出発。暑くなってきた。服を二枚脱ぐ。今日あたりタカが観測できるんじゃないか、と思えるような陽気である。

県道200号線(蒲生田福井線)をひたすら遡る。犬のほえる声と銃声が聞こえてくる。10時45分、名もなき峠。左右に竹林が広がる。「ホーホホホケキョ(ケキョ)、ケキョ(ケキョ)、ケキョ(ケキョ)、ケキョ(ケキョ)、ケキョキカ」その竹の間から鶯の声が沢山聞こえる。この峠は風の通り道であるらしく風が強くて寒いのだが、そんなことも忘れて聞き入った。
ちなみに、あとで知ったのだがケキョ(ケキョ)というのは警戒音であるらしい。って、おい、誰を警戒していたんだよ?

さらに走ること10分。途中でJRの路線と出会う三叉路を左折してもう一つ名もなき峠を越える。道が非常に狭い。その峠付近に「毎朝新聞」の看板を発見した。「スーパーマルエー」といい、「毎朝新聞」といい、徳島は謎な名前の多い場所である。徳島では商標法御免が認められているのかもしれない。

国道55号線(土佐浜街道、土佐東街道)まではすぐである。国道55号線沿いを南へと向かう。すぐに始まる上り坂。アップダウンを経て、日和佐まで南下。道の駅に立ち寄る。無料の足湯がある、と聞いていたのだが改修中で入れなかった。男子便所も改修中だったのでやむなく女子便所を使う。何も知らない女性に不審の目で見られる。いや、僕そんな趣味はないです、誤解しないでください。

国道55号線に入ってからというもの、お遍路さんばっかりである。徒歩で黙々と、あるいは自転車で颯爽と、あるいは自動車やバスでお気楽に。ある人は家族あるいは友人と、ある人は団体旅行でお気楽に。そんな中でも、黙々と「一人で」四国の街道を歩くお遍路さんの姿はなかなか尊敬できるものだと思う。笠に「同行二人」と書いてある。厳密には弘法大師さんがそばにおり「二人」なのだそうだが、信心薄い僕には一人にしか見えない。残念である。

13時40分。道の駅を出発。1.5km程走ると道が分岐している。右の道は山間を貫く国道55号線。左の道は、南阿波サンライン(県道147号線、日和佐牟岐線)。激しくアップダウンしていることで有名な、リアス式海岸沿いの道である。

20kmはありそうなので南阿波サンラインを通るかどうか迷っていたのだが、まだ二時前である。途中でばててしまったとしても歩いて脱出できるだろう。そう判断して南阿波サンラインを通ることにした。

平坦な道は数分で終わり、斜度9〜10%の上り坂が延々と続く。スピードメーターで確認すると2km強の上り坂であった。千鶴トンネルまでのこの上り坂を20分かけてかろうじて攻略する。

トンネルを抜けると、陽光が燦々と降り注ぐ。明順応で一瞬目の前が真っ白になる。少しコバルトブルー、南国色をした太平洋は、その名に恥じず穏やかであり、陽光を反射してキラキラしている。椰子の木が植えてあったりして、植生も南国風だ。そんな亜熱帯の中、太平洋に落ち込む急峻な山の傾斜にサンラインが豪快に造られている。

ちなみに当たり前のことだがコバルトは灰白色をしている。ここのところ来週の試験に出すのでしっかり復習しておくこと。

ジブリの「紅の豚」に出てくる入り江とも形容される入り江があったりして、この道路、景色「」なかなか良い。四つの展望台兼休憩所も設けてあって、室戸の彼方を望むことも出来る。

」である。この南阿波サンライン、斜度10%超の上り坂と下り坂、連続するタイトなヘアピンコーナーが四つの展望台を無理やりつなぐ道路であることが、最大の問題点なのだ。

下りは快適なのだが・・・。実は、僕のスピードメーターには最高速を記録できる機能がある。これを更新してみたいので、ブレーキをかけるのがついつい遅れるのだ。海へとせり出すヘアピンコーナーでブレーキが遅れると、怖い。
一方、10%超の上り坂は非常に苦しい。時速10kmを切ってしまう。南阿波サンラインから永遠に脱出できないかのような錯覚さえ覚える。

途中、何度も休憩してキャベツをまるかじりした。徐々に、文明人としての誇りを失っていく僕である。このままでは東京に戻る頃には「あっああ〜」と叫ぶターザンになってるかもしれない。博物館就職内定である。ただし、展示品としてだが。

15時50分、かろうじて南阿波サンラインを抜け、牟岐駅前の三叉路で国道55号線に合流。南下してしばらくしたところで、年季の入ったお遍路の親父と出会う。もう既に銀や錦のお札まで昇格したらしい。かつて自転車での四国一周に挑戦したことがあるらしく、なんだかやたらと絡んでくる。「自分、この太っいタイヤ、何とかならんか。これやと30%はエネルギーをロスしとる。せめて半分の太さのやつに履き替えたらどうや。」いや、確かに。Great journeyは重いし、タイヤは太いし、ママチャリに乗ってる方が楽ではあるんだが。会って開口一番自転車のダメ出しせんでも。

ここでお遍路のシステムを詳しく知らない方のために、解説しよう。銀や錦のお札。これはお遍路を数十度もした人のみが使えるお札なのだ。界王星までたどり着いた悟空のみが使える元気玉と界王拳のようなものである。電車やバスに頼らず歩いて八十八箇所をまわる正統なお遍路さんが、ここまで昇格するのは至難の業だ。社会人として生きていれば絶対に貰えないと思われる札である。

ということはこの親父、お遍路ヒエラルキーの頂点に君臨しているのだ。ただ、お遍路ヒエラルキーで頂点に近ければ近いほど、実社会ヒエラルキーでは底辺に近いと思われるのが、切ない。二十倍界王拳も錦のお札も使うには相当の代償が必須なのだ。

阿波海南の市街から南に丘を一つ越えると那佐湾。東西に細長い、深緑の海。その西の端に太陽が沈んでいく。綺麗なオレンジ色の夕焼けだ。

18時前、道の駅宍喰温泉。併設されている温泉に入る。21時頃、道の駅近くの公園で就寝した。



3月15日
走行時間5時間35分
走行距離81.07 km
平均速度14.5 km/h
最高時速55.0 km/h
総走行距離148.1 km

次回―暴風雨の室戸岬、死と向き合う一日

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