無神経



3月24日

7時10分東京駅着。輪行袋を抱えて往生する。通勤客が奇異、異質なものを見る目で一瞥し隣を足早に通り過ぎる。平日のラッシュアワーに八重洲という超一等地にいる自転車を組み立てる真っ黒な少年は、明らかに周囲の景色から浮いているのだ。でも、立ち止まる人も、警備員を呼んでくる人もいない。皆、関わらないのが身のため、と黙々と会社へ向かって歩いていく。ここ東京では不審なものを見つけても立ち止まることも警察を呼ぶことも出来ないほど時間に追われた生活をしているのである。

皇居大手門前の桜が咲いている。金曜日なので皇居内に入ることが出来なかったのは非常に残念だ。

ふと空を見上げる。四国で見た空と変わらないはずの春の空。しかし、両側に聳え立つビル、視界の端に入る首都高速、そういった人造の無機物の塊の中で空を見上げていると、ふと違和感を覚える。春の空を切りとってきてビルの間に無理矢理貼ったような気がしてきたのだ。春の空が、ビル街に馴染んでいないのである。

日本橋の首都高速移転問題が浮上している。日本橋に折り重なる首都高速を移転し、あの周辺に「伝統ある」江戸の町並みを再現したいのだそうだ。何がやりたい。今更、日本橋に江戸時代の橋の風景を作り出して何になる。「伝統ある」日本の町並みなら京都や奈良に任せておけばいい。大体昔から、橋のある町といえば「八百八橋」と呼ばれた大阪だと相場は決まっているのである。英語の授業で初めて習った比較級の例文だって「大阪の橋」だったではないか。いずれにせよ、東京のような町の出る幕ではない。西洋風の街並み、ハウルの動く城に出てくる王国の首都の街並みを再現したって仕方がない。今更どんなに頑張ったところでフィレンツェやパリに勝てる訳はないし、フィレンツェやパリのコピー都市となった東京をわざわざ見に来る外国人がいるとも思わない。

日本の都市の強みはその暴力性にある、といったのはさる評論家であったが、僕もその考えに大いに賛成である。東京の街へ視察に来るフランスの役人は、東京の街にパリのコピーを見たいとは思わないはずである。東京の街へ観光に来るイタリアのカップルは東京の街に奈良や京都のコピーを見たいとは思わないはずである。東京が持ち、京都や奈良が持っていないもの、東京にはあるが、フィレンツェやパリにはないもの、それは暴力性、無計画性なのだ。一見乱雑に見えるもの。ガラクタからできているハウルの動く城のように、増改築を無計画に行ってきたことによりごちゃごちゃしているもの。それは、確かに乱雑なものではあるが、同時に乱雑であるが故の美しさと力強さを持っている。ハウルの動く城、ガラクタから出来た城という発想は東京で生活しないと身に付かないのではないか。あの城はフィレンツェの美しい街、京都の落ち着いた裏通りで育ったイタリア人監督、京都人監督、彼らには描けないはずである。乱雑な街大阪で育った監督なら、ガラクタから出来た城という発想はあるかもしれない。でも、大阪の町には東京の街が持つほどの暴力性はない。日本橋の真上に首都高速を通すような、無神経さはない。その大阪人監督がハウルの動く城を描いたならば、あそこまで巨大なものにはならなかったはずである。もう少し繊細なものになっていただろう。力強さ(暴力性)、乱雑美、無神経さ。唯一世界に誇れるもの。それを東京の街から総工費一兆円もかけて剥ぎ取って、東京日本橋に何を作ろうとしているのか。僕には分からない。

放浪による世界一周に憧れる僕。文明的な無機物の塊と春の空の中にそんな僕がいるのもある意味、乱雑なのかもしれないな、とふと考えた。



3月24日
走行時間38分
走行距離6.2 km
平均速度9.7 km/h
最高時速16.2 km/h
総走行距離871.1 km

次回―サマショールとして

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四国三界一周十二日記

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