サマショールとして



チェルノブイリで原子力発電所が爆発したのは今を遡ること丁度二十年前である。広島に原子爆弾が落とされてから広島に人が住めるようになるまで、二十年もかからなかった。が、この原子力発電所の事故から二十年たった今でも、チェルノブイリ発電所への立ち入りは制限されている。住めるようになるまで六百年かかる、と言う人もいる。道路は封鎖され、今もなお発電所の周囲数十キロは立ち入り禁止区域である。その立ち入り禁止区域のすぐ外に、発電所をコンクリートで固め、放射能漏れを防ぐ工事をする人たち、彼らのための町があるのだが、その街の建物の発電所側の窓は常に閉め切られている。

しかし、そんな立ち入り禁止区域に住む人たちがいる。サマショール、という。お金がないので引っ越せない人たち。生活のためにやむをえず生活する人たち。政府も国際社会も完全に見捨てた人たち。彼らは、自己責任で住んでいる。放射能に曝されるというリスクをとってでも、今晩の食事にありつくために被爆地に住まなければならないのである。もちろんその食事は、被爆地の土で作られた放射能まみれの食物を使っているのだが。

自転車での放浪は、何があっても自己責任である。自転車屋さんがない田舎で自転車が壊れたら自分で直さないといけない。人里離れた山中で落石にあっても助けてくれる人はいない。夜中河川敷のテントで熊に襲われたら一人で戦わないといけない。暴走族に追いかけられたら自転車で逃げ切らないといけない。キャベツしか食べ物がない時、それを食べるかそれとも飢えるかの選択は僕自身にゆだねられる。砂浜、河川敷、道の駅、きちんとしたキャンプ場、どこにテントを張るかはその時々の周囲の状況――街中であればなるべくきちんとしたキャンプ場にしたい、人里離れているなら道の駅で張っても余り迷惑はかけないですむだろう――と自分の体力に応じて、どうするかは僕自身が考えないといけない。

原子力発電所の付近から引っ越した方がいいことは知っていても引っ越せない人たち同様、自転車族も自己責任で危ない橋を渡らないといけないのである。

「私は望んで、ここまで来た。
私はここで、探すものがある。」
と言ったのは、自転車族ではない。ネパールにボランティアに行き、帰国直前そこで交通事故に巻き込まれて死んでしまった画家の佐野由美さんだ。だが、この言葉ほど自転車族の心境を上手に表せる言葉はないだろう。シシュポスの岩並にしつこい1000mを超える峠の上り坂で、0℃まで冷え込んだ明け方シュラフの中で。上り坂の少ないルートを選ばず、ホテルに泊まらなかったのは自分で決めたことだと、自分自身に言い聞かせ頑張るのだ。

次回―漂鳥帖

Pippa passesのトップへ
紀行文のトップへ
四国三界一周十二日記

Copyright (C) 2004 - Pippa. Almost all rights reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送