雨と便所、地獄の雪隠詰め



3月18日

種崎千松公園。千松というだけあって松が生い茂っている沿岸の公園。海岸には砂浜が広がっている。高知平野東半分の砂浜がその砂浜から一望できる。アイリン風ブルーシートを除けばほぼ完璧な公園だ。

普段から海風が強いのか、松が全部同じ向きに傾いている。今日も風が強い。その風にのって、高知新港に出入りする船のボイラーの音が夢うつつに聞こえてくる。


朝、雨音で目が覚める。いきなりの雨だ。大急ぎでテントをたたんでトイレに逃げ込む。今日は動けないな。

暇を持て余す。本を読む気は起きない。五日間走ってきて心地よい疲労感に満ちている。何も考える気が起きないのだ。

10時前、暇を持て余してついに出発。壺状の浦戸湾の口にかかった浦戸大橋。これが最初の難関である。「うらどおおはし?それって、つぇーのか?(孫悟空風)」なんてなめてかかるとしっぺ返しを喰らう。船が下を通るために海抜50m前後はあるアーチ状の浦戸大橋。頂点では非常に風が強い。しかもこの橋、やたらと交通量多いくせに車幅ぎりぎりいっぱいの幅しかない片側一車線の道路だ。歩道は自転車を押して通ることが不可能な狭さだし。自転車が通ることはハナから考えずに設計されたとしか思えない橋。つまり僕は追い越し不可能な車道を、車の迷惑を顧みずに我が物顔でチンタラチンタラ上っていくしかないのである。

橋を渡ると桂浜。県道14号線はこの海岸線をただただ一直線に走っている。雨さえ降っていなければ爽快なシーサイドロードである。でもねぇ、やっぱり雨が降ってるの。40分走ったところで限界。春野漁港脇の公衆便所に逃げ込んだ。

11時40分、やっぱり暇を持て余して出発。しばらく走ると宇佐である。ローソンに立ち寄る。

終戦直後、物資が不足していた時代。「メイド・イン・USA」がもてはやされていた。その頃USA(うさ)石鹸というのを販売した業者がいる。勿論、表面にUSAと彫られているだけ。「メイド・イン・ジャパン」の粗悪品である。でも、この石鹸とてもよく売れたんだな。

13時、三十六番寺・青竜寺。お遍路はやめることにしたんだけど、通り道だし立ち寄る。桜が咲いている。春だ。境内の神社にも参拝。いくら廃仏毀釈対策とはいえ、お遍路の八十八箇所が神社をくっつけるなよな。と思わずツッコミたくなる。

浦ノ内湾の北岸を走る県道23号線で西へ。体力があれば横浪黒潮ラインを走ろうと思っていたんだけど、雨で体力を使い果たしているんだよ。アップダウンの激しいと評判の横浪黒潮ラインは走る気が起きない。

14時半、急に雨が強くなる。雨粒が痛いぐらいだ。我慢できず浦ノ内中学校の校舎に逃げ込んだ。今の御時世こんなこと都会でやったら即座に不審者と間違われるんだろうが、そんなこと問題にしない大らかな浦ノ内気に入ったぜ。

二時間半待っても雨はやまない。でもさすがにここで一泊するのは好意に甘えすぎることになっちまう。というか、靴がびしょびしょだ。気持ち悪い。なんとか今日中に須崎市街まで行って何か手を打たないと。

そう考えて出発。本降りになって出て行く雨宿り、とはこのことだ。18時前、夕闇迫る頃ビショビショになって須崎に転がり込んだ。コンビニで靴乾燥用に毎日新聞を買う。本当はDSを買いたかったんだけどね。売り切れていたの、DS。ゲーム機じゃないよ、デイリースポーツね。コインランドリー到着。ん?靴乾燥機があるじゃないか。新聞買う意味なかったな。

高校生がホームレスに火炎瓶投げつけた事件と、それに関連した「洋の東西を問わず放浪し虐げられているものを神聖視するのがジョーシキやのに、なんやこのクソガキは〜ッ!」という無責任なコラムが一面に載っていた。おい、あんまりいい加減なこと書くなよ。俺放浪してるけど、全然神聖視されてないぞ。

22時前に雨が上がる。道の駅かわうその里すさきで神聖な僕はシュラフにくるまるのであった。



3月18日
走行時間3時間11分
走行距離53.57 km
平均速度16.8 km/h
最高時速51.4 km/h
総走行距離347.7 km

次回―野グソをプロデュース。

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