質素倹約一千日



僕の家にはここ二年ほどインターネットも電話もなかった。関西に帰省する時は、月に行くより大変な青春十八切符静岡県各停横断だった。大学生だというのに大好きな喫茶店に行く回数も減らしたし、ハチ公で待ち合わせするときも、横浜でウィンドーショッピングするときも自転車で向かった。大学で指定された教科書はほとんど借りるかもらうか不可を取るかして済ませた。アメニモマケズカゼニモマケズ食事の回数は一日一回半に減らし、一ヶ月で体重を5kg減らした。友人達が大学生風情でカラオケに合コンにホテルに放蕩三昧の中、大学生だというのにオシャレもせずひたすら質素倹約に努め、お金を貯めていたのである。夜はバイトに行き、朝は大学の教室で睡眠、昼は化学実験室で睡眠、夜はバイト。

レジ打ちのバイトだった。昼はヘキサン溶液を扱って手がカサカサになり、夜はレジ袋を開け続けて手がカサカサになる。絶対にお肌に悪い。容姿に気を使わない僕が、真剣にうるおい美率でも買おうとしたぐらいだ。ワールドカップやオリンピックがある日は、みんな試合を見ているのに、ガラガラになった店内にいないといけない。花火大会のときは、僕だって見に行きたいものを我慢しているのに、浴衣姿のデレデレしたカップルの相手をしないといけない。強盗がいつ来るか分からないし。結構つらい仕事である。

それにレジ打ちをやっていると、見たくないものも見ないといけない。若い女性が惣菜や弁当を買っていく姿。一番酷いのはカップラーメンである。シャロン・ストーン、マリリン・モンロー、ベアトリーチェ・チェンチ、貂蝉、小野小町、例えどんなに絶世の美女であったとしても、カップラーメンを食べていたら、それだけでがっかりである。ましてやちょっとかわいいだけの女性がカップラーメン食べてる姿ほど情けないものはない。ホワイトデー、激安のチョコを店で買う男性。義理なら別にかまわないけどさ、本命でやってるとすればかなり重症だ。自分用のオムツを買う女性。いや、そりゃ女性にはオムツが必須アイテムなのは知ってるけれど、うら若き女性がオムツを買う姿は見たかないんだよ。

ある時、お店でキャンペーンをやることとなった。七百円以上買うとクジを引けるというものである。
「おい、来いよ。」
隣で働いていた出っ歯に店の奥までついていく。そこでは店中の従業員が血眼になってクジをあさっていた。ダイエー衣料品売り場の「出血覚悟の大バーゲン!80%OFF」にたかる大阪のオバチャンさながら、ここは戦場である。あっけにとられていると、
「何やってんだよ。お前も欲しいやつ持ってけよ。」
「いいんだよ。みんなやってるし。」
くじ引きの類で当たったことがないのだが、そういうからくりだったのか。これでは裸の上半身に肩から晒しをタスキ掛けして「丁半」って叫んでる、イカサマ連中と一緒ではないか。黄門様に見つかったら、「その方、後ほど御奉行様より詮議の沙汰あるであろう。それまで蟄居を命じる。」なんて言われて、花の青春を引きこもって過ごさなければいけなくなる。
可哀想なのはお客さんだ。
「ちょっとー、当たり本当に入ってんの?毎日来てるけど、当たったことないんだけど。」
そりゃ当たる訳ない。だって、本当に当たりが入ってないんだから。当たりクジは店員がほぼ全部引き抜いてしまったんだよ。でも、そんなこと言えないので営業スマイルである。

捌いても捌いても、うじ虫の様に客が湧いてきてレジ前に長蛇の列を作る。捌きに捌き、もう少しで一息つけるという段になると必ず大勢の客が押しかけ、また長蛇の列。キリがない。シシュポスの苦しみもかくありなん、というつらさである。現世の悪行への報いとして、タルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられたが、山頂近くまで押していくと岩は必ずひとりでに転がり落ちるため、永遠に苦しみ続けたというシシュポスと同じ苦しみを、なぜ僕が味わわなければならないのか。こうなったのも当たりクジを全部引っこ抜いた罰なのか。うじ虫のように湧く客は、それだけでも十分怖いのにターミネーター化して、銃で撃っても撃っても立ち上がり夢の中まで僕を追いかけてきた。おかげで余計に寝不足になり、朝は教室で熟睡、昼は実験室で熟睡と、さぼりレベルが睡眠から熟睡へワンランクアップしたのである。

やや話が長くなったが、そんなつらいバイトに耐え、あれやこれやで節約し、毎日を必死にサバイバルしてきた。それもこれも、大学四年になるこの春休みは最後の春休みなので、今までやったことのないことをやろうと思っていたからだ。何かインパクトがあること。

「世界一周」だとか「日本一周」ってのはカッコいいが、お金もかかるし、そもそも短い春休みでやるには無理がある。一周して帰ってきたら半年経っていて、単位が足りずに大学四年生をもう一周することになった、のでは困る。そもそも留年してしまっては、この春休みが最後の春休みではなくなってしまう。

ってことはこの短い春休みの間に出来ることじゃないとアカン。でも、「一周」という言葉にはインパクトがあるではないか。という訳でどこかを一周しよう、と思った。春休みという期間で一周できそうな島といえば九州か四国か北海道。九州は高校の時にほぼ全県を周ってきたのが、まだ記憶に新しい。北海道は行ったことがないので行ってみたいが、まだ三月。寒そうだし、熊に襲われそうだ。という訳で行き先は四国に決定した。ボンボンなら、「おほほ、ワイハーでも行きますか。クルーザーで楽しみますか。おほほほほ。」となるのかもしれないのだが、そこは貧乏人の悲しさである。

行き先が決まったら交通手段である。レンタカー、バイク、電車、自転車、徒歩、匍匐前進が考えられる。電車は非常に魅力的だが、四国は田舎である。室戸岬周辺には電車が走っていないので無理だ。レンタカーだと便利かもしれないが、僕は若葉マークのペーパードライバーである。行きは自動車、向こうの移動は救急車、帰りは霊柩車というのは洒落にはならない。とてもじゃないが、無理である。バイクというのも同様の理由で無理だ。というか、僕の免許では原付にしか乗れない。原付で四国一周というのは情けない。徒歩と匍匐前進はカッコいいが時間がかかるし、場合によっては警察にご厄介になることになってしまう。交通手段は自転車しかありえない。

後はバイトをやめることである。バイトをやめないことには折角の春休みなのにどこにも行けない。やめるとバイト先が困るかもしれないが、安給料、昇給なし、社会保障なし、残業あり、深夜の急な呼び出しありの劣悪な労働条件では忠誠を誓う方が無茶というものである。吉良上野介邸に討ち入りした大石内蔵助だって、武士の鑑、忠義一徹みたいに言われているが、それは代々赤穂浅野家の家老として主君から恩を受けていたからである。蒙古が来襲したときに「いざ鎌倉」と御家人が駆けつけてきてくれたのは「御恩」と「奉公」の関係にあったからである。高度経済成長期のサラリーマンが、会社では残業させられ自宅では奥さんの尻に敷かれて、それでも我慢できたのは、「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ〜♪(ニッポン無責任時代風)」とどんと節を歌って踊れるほどサラリーマンという職業が安泰だったからである。僕に忠誠を誓って欲しかったら、終身雇用と社会保障と休暇を約束してくれないといけない。

嫌味たらたらの薄毛店長に面と向かってそう言い放ち、見事に僕はクビになったのである。

次回―東九オーシャンフェリー

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