十一手目のアリス、呼び戻し



3月23日

緊急事態発生である。昨晩、親からメールが入った。
「明日の晩に下宿に泊まるでー。」
おい、待て。いきなりそれはないだろ。
「いや、困る。」
当たり前の返事だ。大体、人の家に泊まるんだったらせめて二週間前には連絡しておけ。確かに仕送りで生活している身だが、そんな僕にだってプライバシーはある。肌色の本だとか、女の人が出てくるいかがわしいビデオを隠さなきゃいけないし、万一女物のアクセサリーが部屋に落ちていたら事情聴取されるので掃除しておかないといけない。不可だらけの成績表を処分しなきゃいけないし、苦心のやりくりで貯めたへそくりを疎開させないといけない。
「いや、泊まる。ダメなら仕送り、止まるで。」
くだらん駄洒落だが、弱った。こう言い出すと僕が何を言っても無駄である。

経済的事情で高校二年生になるまでお小遣いをもらえなかった僕は、欲しい物を入手するにはカツアゲするか、万引きするか、親にねだるしかなかった。でも、必ずしも筋肉ムキムキではない僕にはカツアゲは無理だし、万引きするほどアホでもなかった。ジャンプとか分度器なら借りればすむし、部活帰りのポカリなら公園の蛇口をひねって我慢できるが、遊び道具となるとそうは行かない。
「ねー、野球盤欲しいー。」
あの野球盤である。パワプロだとか、栄冠は君にだとか、近年はゲーム機の発達著しく、野球ゲームといえばテレビゲームしか思い浮かばないのかもしれない。が、僕が小学生の頃はピッチャーが投げるパチンコ玉大の鉄の玉をバットをタイミングよく振ってはねかえし、落ちた穴によってヒットかアウトか決まるという野球盤が大ブームであった。
「何言うてんねん。阪神ファンなんやろ。」
「うんうん。」
「ほらほら、よく見てみぃ。ジャイアンツ野球盤って書いてあるやん。この野球盤は買うたらアカンで。」
なら、阪神物ならいいのか。

「ねー。阪神の野球カード欲しい。」
野球カードというのは、一パック30選手のカードが入っているもので、球団ごとに十二パック売ってある。それぞれのパックにはその球団の一軍選手の写真が載っていて、裏にはサイコロの絵と結果の対照表が書いてある。サイコロを振って裏のその対照表を参照し、「一のぞろ目は・・ホームランだ」みたいに楽しむものである。これも一昔前にははやったものだ。自分のカードを持っていると、近鉄ファンの友達のカードとトレードして自分好みの選手でできた阪神タイガースを作れるというファン垂涎の一品である。
今の小学生は遊戯王とかいうカードゲームにはまっているそうだが、僕の時代のカードゲームと言えばこの野球カードだった。
「アカンアカン。阪神なんかナンボ応援したかてドベやねんし。」
そりゃねーぜ、大将。

「ねーねー。人生ゲーム欲しい。」
「アカンアカン。億万長者になんか絶対なれへんねんし。変に期待持たせるゲームやったら教育に良くないやろ。」
いくら僕がアホだとは言っても、「UFOを発見する。ルーレットを回す。3以下なら$1, 000, 000貰う。そうでないならガセであることがばれ、$2, 000, 000支払う。」みたいなことが実際に起こるとは思わないぜ。そんな期待しないよ。

お分かりかと思うが、僕は口では親に勝てないのだ。ああ言えばこう言う親の上京を止めることは、最早不可能なのである。こんなことなら旅行に来る前に見られたら困るもの、処分しとくべきだった。お遍路さんが白い服を着ているのは、道中いつ死んでもいいように、という死装束なのだそうだが、僕もいつ親が来てもいいように、処分しとかなきゃいけなかったのだ。

そんなことを考えても後の祭り。となれば僕は東京へ戻るしかない。親が来るのは明日の晩だから、明日の午前中に東京に着けば何とかなる。という訳で今日は四国最終日である。

鏡の国のアリスが赤の女王を取って戻ってきたのは、十一手目である。僕が東京に呼び戻されたのは十一日目だ。・・・なんて感動してる暇はない。早くJRの走っている街まで戻らんと。

8時50分出発。快晴。近所のおばあさんにデコポン七個を貰う。デカイ。東京ではまずお目にかかれないデカサである。愛媛県は柑橘類が余っている県なのだ。ことあるごとに農家の人が寄ってきて、「お兄ちゃん、これ売り物にならんねん。要るか。」と渡してくれる。そりゃ嬉しい。とっても嬉しい。有難く頂く。でもさ、僕、自転車旅行してるんだよ。デコポン七個は重いし、かさばるし。実は意外と困ったりもするのだ。

ここ三崎は天然記念物のアコウ樹の自生北限である。推定樹齢600年、高さ20m、幹直径6mのめさめさでっかいアコウ樹前で中年のトホダーと出会う。チャリに非常に詳しい。色々と貴重なアドバイスを頂いた。最後に、大洲で某大学の自転車部が合宿しているから行ってみろ、とおっしゃる。いや、だーかーらー、明日までに東京に戻んないといけないんだって。

佐田岬メロディーラインを一時間ほど走り大久展望台。そこからさらに一時間ほど走り左へ曲がりしばらく上るとせと風の丘パークである。With Your Lifeの日本通運のCMで出てきたこともあるので知っている人もいるかもしれない。平均標高330mの尾根線に11基の巨大な風車が1.6kmにわたり立ち並ぶ。この十一基の風車で佐田岬半島で消費される電力を完全にまかなえるというから驚き、桃の木、山椒の木の実ナナである。全長79.5m、羽の長さ29mの一号機の根元に立つと、当たり前のことだが「デカイ」と思ってしまう。風車が雲をすい、ゴワスーゴワスーと飛行機のような音を立てている。佐田岬でとれる柑橘類は味に定評がある。「佐田岬のみかんは三つの太陽で育つ。空の太陽、段々畑の照り返し、海の照り返し。で、北の瀬戸内海から潮風が吹き込み山を越えてくると同時にみかんが甘くなるんだ。」そんなことがWalk onに置いてあったバイク雑誌に書いてあったが、ミカンを甘くするその潮風が風力発電にも利用できるというから、素晴らしい。東北人風に言うと、すばらすー。

とても気持ち良かったので一時間弱もまったりとした。正午前に出発。道の駅瀬戸農業公園、道の駅伊方きらら館を経由して一路東へ。13時過ぎに国道378号線へ。瞽女トンネルは2160m。非常に怖かった。

国道378号線(夕やけこやけライン)は海沿いの快走路。綺麗な海だ。透き通っている。「今日までに 私がついた 嘘なんて どうでもいいよ というような海」と思わず呟いてしまう。ちなみに今のは俵万智のパクリである。JR予讃線が併走している。その線路脇には菜の花が群生している。15時15分、JR下灘駅。青春18切符のポスターにも使われた海に面した無人駅である。

15時40分、道の駅ふたみ。「ビッグバンの広場」、「太陽のストーンヘンジ」、「モアイ像」どれもこれもよく分からない石像だ。恐らく、夕日が綺麗な場所なので、太陽に関連した史跡を移植したつもりなのだろう。ちなみに、夕焼けこやけラインの「こやけ」というのは太陽が沈みきって残光で赤く染まっている状態のことだそうである。知らなかった・・・。

16時40分、国道56号線に合流しなおも北上。17時半、松山市街に到着。駅前で輪行袋につめる。お土産を買う。アリバイ店の需要はここでもあるらしく、松山だというのに「四万十川ののり」が売ってあった。18時44分のいしづち30号で坂出へ。坂出駅前のスーパーでお寿司を買う。坂出からサンライズ瀬戸で東京へ。僕が幼児期を過ごした四国とはあっけなくお別れである。



3月17日
走行時間5時間55分
走行距離105.85 km
平均速度17.8 km/h
最高時速58.4 km/h
総走行距離864.3 km

次回―無神経

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